キットカットに言われたくない
スーパーでファミリーパックのキットカットを買ってきました。
個包装になっていて、みんなで食べたい時に便利なアレです。
中には、小キットカットたちが“ゆとりをもって”詰められているんですよ。
お買い得ですよね。
ひとつ取り出してみると、小キットカットのパッケージにこんな文字が。
「Do Your Best!」
すでに精一杯頑張っているんです、そんなに責めないでください...。
うつ病の人に、「頑張ってね!」と言ってはいけないこと(例え悪気がなかったとしても)は周知の事実だと思いますが、そうじゃないすでに自分なりに頑張っている人にも言ってはいけないと思っています。まあ、大抵の人は素直に頑張ろう!と受け取るかもしれませんが、私みたいにひねくれていて他人に対して疑いの目を持っている人は、そういうわけにはいきません。
「もう頑張っているのに、、、」
「お前の方が頑張れよ」
「頑張らなきゃ、頑張らなきゃ(強迫観念)」
ああ、おかしくなりそうですね。
これは私のポリシーですが、人に対して応援のメッセージを伝える時には、絶対に「頑張って」とは言いません。さて、何というか。
「無理しないでね」
完璧だと思うんですよね、労いの言葉として。
「無理をしないでね」と言われた方は、張り詰めていた緊張感から解き放たれて、程よく頑張れる状態になると。少し休んでからまた頑張ろうって。
頑張りすぎは良くないです。
長時間労働や上司や取引先からのハラスメントが問題視される昨今。
頑張らなきゃと自分に言い聞かせて続けていくのは、どうなのでしょうか。
「頑張る」と「我慢する、無理をする」は違います。
線引きをするのは難しいかもしれませんが、無理をしないで欲しい。
だからこそ!
キットカットはこうあるべきなのです。
Take It Easy!
ハクソー・リッジ
僕の記憶と経験に差分がなければ、人生で初めて「戦争映画」を観た。
「ハクソーリッジ」
第二次世界大戦に衛生兵としてアメリカ陸軍に仕えたデズモンド・ドスの実話を元にした映画。
人が痛み苦しんでいる描写は得意ではないし、グロテスクな映像は苦手だ。
しかし、部屋に引き篭もって、寝るかインターネットをして過ごしている土曜日を有意義なものにしたいという思いから、
レイトショーを観に行くことにした。
とりわけ観たいと言う訳ではなかったが、タイミングが良かった。
一人でレイトショーを観に行くなんて大人になったなと少しの高揚感を抑えながら、ゆっくりと準備をし、外に出た。
日は落ちて数時間は経っていたが、まだ蒸し暑かった。
歩くこと15分。歩く人と人の隙間を縫うようにして、到着した。
タッチパネル式の発券機で、席を選ぶ。
土曜日ということもあって、半分以上がすでに埋まっていた。
他人の前を申し訳なさそうにして、通るのが嫌なので、前方の比較的空いている席を取った。
案の定、若干見上げる体勢となったが、仕方がない。背に腹はかえられぬのだ。
上映が始まった。
とある事情により銃を持たなくなった主人公のドスは、自分の身を守る武器すら持たず、
戦地へ降り立った。この場所がタイトルにもなっているハクソーリッジ。
日本名は前田高地と呼ばれる。
戦場では、敵国(日本)との戦闘シーンが鮮明に描かれているが、自動小銃の乱射により、はらわたが飛び出したり、
手榴弾で吹き飛び半端になった四肢からは、神経や引き千切られた筋肉に思わず目をそらす場面があった。
たった数秒で人が死んだり、身体の一部が欠損していく。一般的な精神状態であれば、するのもされるのも拒否したいところであるが、戦場ではだんだんと感覚が麻痺していくのだろう。
終盤では、武器も持たずただ必死に仲間を助けるドスの姿を見て、感情移入してしまい
ドスが敵に見つかり、負傷者を引きずりながら逃げている場面では、「早くその敵を始末してくれ!」と目を見開き、興奮気味だった。
ふと我に返って、少し反省した。
自分を忘れて映画の世界に、主人公の近くで同じ体験をしているかと錯覚するほど、興奮させる作品だった。
戦場に立つまでの、ドスの過去や仲間との人間関係がこの感覚を加速させているのだろう。
これは事実を元にした物語で、実際に戦争が起きたときを考えると、僕の心臓から鼓動は聞こえなくなりそうだ。
ドスは人を殺す為の銃は決して持たず、ただ多くの人を救いたいという信念を持っていた。
自分には信念はあるのだろうか。と問いただしてみても、何もないことはよく自分が知っている。
心配事の1割は実際に起きるんですか…?
たくさんあります。
心配事。
何においても最悪の事態まで想像して、落ち込む。もしそうなったらと考えると居ても立っても居られない。
何処かの誰かが言っていました。
心配事の9割は実際には起きないと。
え、じゃあ1割は起きるんですか?
1割の可能性で起きるなら、心配しますよね?
それって普通ですよね…?
飛行機に乗っていると、毎回思います。
墜落したらどうしようと。なので、とりあえず遺書っぽいものを書いておいておくのです。
離陸前の機内で、こう思う。
なんで飛行機なんて乗ったんだろう。新幹線でも行けたんじゃないか。そもそも旅行なんてしなければこんな思いしなくて済んだんだ!
グルグルと思いを巡らせながら、離陸し、安定した飛行を確認すると、あの思いがバカらしくなる。単純です。それでも、これを繰り返す。
飛行機だけじゃないですよ。
車に乗っていても、電車に乗っていても、歩いていても、何か事故に巻き込まれるんじゃないかという思いが頭から取り除かれることはないのです。
僕だけが被害者になるのは、まだ良い方です。
家族や愛する恋人、親愛なる友人達に及ぶとなると耐えられない。
ああ、嫌になる。嫌になる。
心配症というより、ビョーキかも知れないですね。
優しさからの離脱
有益で情報量のある内容を書こうとしても、それ以上に内部から溢れ出る陰鬱な感情が邪魔をしています。
一度吐き出す。その他に術はないのです。
金、権力、暴力、あらゆる人間の醜い欲望とその争いをテレビやネットニュースで目にすることが耐えられない。報道されるほとんどが攻撃的で、コメンテーターが推論でモノを言い、想像力の足りない視聴者が情報を鵜呑みにする。
みんなが少し我慢して、思い遣りを持てば嫌な思いをする人が増えるのにと。
どうして人を傷付ける。
どうして相手のことを考えない。
人が苦しんでいる姿や傷付いている姿を見ることは、とても辛い。
可能な限りみんなが幸せになってほしい。
ただ、現実的に考えて無理だということくらいは分かっている。だったらもう自分を隔離する以外に方法はないのです。もしくは自分と同じ状況の人たちだけでも救いたい。
社会的に隔離されて生活するのは、この時代ほぼ不可能。ならせめて、ひと時だけでもと。
映画、アニメ、漫画、小説などのコンテンツに救ってもらうしかないのです。
あのワンシーン、一コマ、一文に、心の拠り所を求める、真っ暗闇の中に照らされたロウソクのように、道しるべとなって、誘う。
この空間から抜ける唯一の手段。
悴む
手がかじかむ。
漢字で書くと 悴む。
心が卒(お)えると書いて、かじかむ。
①
手足が凍えて思うように動かなくなる。 [季] 冬。 「手が-・んで字が書けない」
②
生気がなくなってやせおとろえる。 〔新撰字鏡〕
一般には、①の意味。
いまもそうだ。
12月の寒空の下、外を歩いていた。
手が悴んで、思うように動かない。
人の痛みを知って、心が悴む。
いまがそうだ。
心が悴んで、思うように動かない。
思うように動かない。
吐く息は白い
ちゃんとしたものを書きたいと思っているうちにこんなに時間が経っていた。
この期間、なにを感じていたのだろう。
そもそもちゃんとしたものって何だろう。
思考を巡らせば巡らすほど、言葉が沈んでいくような感覚。
上澄みだけをすくっても、本質には届かない。
あらゆる可能性を求めて、旅に出る。
目的がない旅からは、なにも得られやしない。
途中で進路を変更しても構わない。
すでに十分に考えた、目標に向かって歩き始めよう。
ハクソーリッジ
僕の記憶と経験に差分がなければ、人生で初めて「戦争映画」を観た。
「ハクソーリッジ」
第二次世界大戦に衛生兵としてアメリカ陸軍に仕えたデズモンド・ドスの実話を元にした映画。
人が痛み苦しんでいる描写は得意ではないし、グロテスクな映像は苦手だ。
しかし、部屋に引き篭もって、寝るかインターネットをして過ごしている土曜日を有意義なものにしたいという思いから、
レイトショーを観に行くことにした。
とりわけ観たいと言う訳ではなかったが、タイミングが良かった。
一人でレイトショーを観に行くなんて大人になったなと少しの高揚感を抑えながら、ゆっくりと準備をし、外に出た。
日は落ちて数時間は経っていたが、まだ蒸し暑かった。
歩くこと15分。歩く人と人の隙間を縫うようにして、到着した。
タッチパネル式の発券機で、席を選ぶ。
土曜日ということもあって、半分以上がすでに埋まっていた。
他人の前を申し訳なさそうにして、通るのが嫌なので、前方の比較的空いている席を取った。
案の定、若干見上げる体勢となったが、仕方がない。背に腹はかえられぬのだ。
上映が始まった。
とある事情により銃を持たなくなった主人公のドスは、自分の身を守る武器すら持たず、
戦地へ降り立った。この場所がタイトルにもなっているハクソーリッジ。
日本名は前田高地と呼ばれる。
戦場では、敵国(日本)との戦闘シーンが鮮明に描かれているが、自動小銃の乱射により、はらわたが飛び出したり、
手榴弾で吹き飛び半端になった四肢からは、神経や引き千切られた筋肉に思わず目をそらす場面があった。
たった数秒で人が死んだり、身体の一部が欠損していく。一般的な精神状態であれば、するのもされるのも拒否したいところであるが、戦場ではだんだんと感覚が麻痺していくのだろう。
終盤では、武器も持たずただ必死に仲間を助けるドスの姿を見て、感情移入してしまい
ドスが敵に見つかり、負傷者を引きずりながら逃げている場面では、「早くその敵を始末してくれ!」と目を見開き、興奮気味だった。
ふと我に返って、少し反省した。
自分を忘れて映画の世界に、主人公の近くで同じ体験をしているかと錯覚するほど、興奮させる作品だった。
戦場に立つまでの、ドスの過去や仲間との人間関係がこの感覚を加速させているのだろう。
これは事実を元にした物語で、実際に戦争が起きたときを考えると、僕の心臓から鼓動は聞こえなくなりそうだ。
ドスは人を殺す為の銃は決して持たず、ただ多くの人を救いたいという信念を持っていた。
自分には信念はあるのだろうか。と問いただしてみても、何もないことはよく自分が知っている。