駆け出しライターのひとりごと

誰も耳を傾けてくれない些細なことから社会批評まで。

渋谷の雑踏にて

 

JR渋谷駅、ハチ公口の改札を抜けると人で溢れかえっていた。

どこを見渡しても、男女のグループが談笑している。一人でスマホの画面に夢中になっている人あもいたが、すぐに相手が現れた。

みんな待ち合わせをしている。そういう私も友人を待っている。

 

他人が待ち合わせをしている光景をみていると、あの子は何を目的として会っているんだろう、関係性はどうなのかと想像する。

趣味の悪いことは重々承知の上だが、気になってしまうのだから仕方がない。

 

白いビックTシャツに黒いスキニーを履いた男の子は、赤リップがキツイ女の子と話をしているけれど、彼はその隣でスマホをいじっている女の子に何度か目線が落ちる。きっと彼は隣の女の子に好意を抱いている!なんてことを勝手に思う。

 

これはまだマシな方。

 

最近はこんなことを思うことが少なくなった。

精神状態が改善されたのか、もしくはすでに何かを諦めたせいかは分からないが、とにかく減った。

 

何が減ったか。駅や道ばたで並んで歩く男女にいらだちを覚える回数が減った。

逆にいうとある時期は、男女が歩いているだけで自分の奥底にあるマグマような感情がそのたびに湧き出てきた。要するに彼女が欲しかった。

 

ある友人に話すと、「多分、みんなニセモノだよ」と言った。

 

冷静に考えれば、彼氏彼女の関係ではなく、ただ友人と歩いているだけの人が多いかもしれない。

あれ、けど私にはそんな可愛い友人すらいないなあという思いを押しやって、自分自身を納得させた。

 

どんなに私がハチ公前にいる男女の関係性を探ろうとしてみても、本当のことは本人たちにしかわからない。良くも悪くも人は主観で生きている。

客観的に見ようとしても、形だけのもので本当の意味で客観にはなれない。だとしたら、自分の見える世界を信じたい、時には都合良く。