駆け出しライターのひとりごと

誰も耳を傾けてくれない些細なことから社会批評まで。

ハクソー・リッジ


僕の記憶と経験に差分がなければ、人生で初めて「戦争映画」を観た。

「ハクソーリッジ」
第二次世界大戦に衛生兵としてアメリカ陸軍に仕えたデズモンド・ドスの実話を元にした映画。

人が痛み苦しんでいる描写は得意ではないし、グロテスクな映像は苦手だ。
しかし、部屋に引き篭もって、寝るかインターネットをして過ごしている土曜日を有意義なものにしたいという思いから、
レイトショーを観に行くことにした。
とりわけ観たいと言う訳ではなかったが、タイミングが良かった。

一人でレイトショーを観に行くなんて大人になったなと少しの高揚感を抑えながら、ゆっくりと準備をし、外に出た。
日は落ちて数時間は経っていたが、まだ蒸し暑かった。

歩くこと15分。歩く人と人の隙間を縫うようにして、到着した。
タッチパネル式の発券機で、席を選ぶ。
土曜日ということもあって、半分以上がすでに埋まっていた。
他人の前を申し訳なさそうにして、通るのが嫌なので、前方の比較的空いている席を取った。
案の定、若干見上げる体勢となったが、仕方がない。背に腹はかえられぬのだ。

上映が始まった。

とある事情により銃を持たなくなった主人公のドスは、自分の身を守る武器すら持たず、
戦地へ降り立った。この場所がタイトルにもなっているハクソーリッジ。
日本名は前田高地と呼ばれる。

戦場では、敵国(日本)との戦闘シーンが鮮明に描かれているが、自動小銃の乱射により、はらわたが飛び出したり、
榴弾で吹き飛び半端になった四肢からは、神経や引き千切られた筋肉に思わず目をそらす場面があった。
たった数秒で人が死んだり、身体の一部が欠損していく。一般的な精神状態であれば、するのもされるのも拒否したいところであるが、戦場ではだんだんと感覚が麻痺していくのだろう。

終盤では、武器も持たずただ必死に仲間を助けるドスの姿を見て、感情移入してしまい
ドスが敵に見つかり、負傷者を引きずりながら逃げている場面では、「早くその敵を始末してくれ!」と目を見開き、興奮気味だった。

ふと我に返って、少し反省した。

自分を忘れて映画の世界に、主人公の近くで同じ体験をしているかと錯覚するほど、興奮させる作品だった。
戦場に立つまでの、ドスの過去や仲間との人間関係がこの感覚を加速させているのだろう。

これは事実を元にした物語で、実際に戦争が起きたときを考えると、僕の心臓から鼓動は聞こえなくなりそうだ。

ドスは人を殺す為の銃は決して持たず、ただ多くの人を救いたいという信念を持っていた。
自分には信念はあるのだろうか。と問いただしてみても、何もないことはよく自分が知っている。